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刑訴の最決H17・9・27刑集集59巻7号753頁について、再現者の供述部分が再伝聞に当たらないのはなぜ?

 刑訴の最決H17・9・27刑集59巻7号753頁について、再現者の供述部分が再伝聞に当たらないのはなぜ? という問題提起がtwitter上でありましたので、その点について述べたいと思います。

 

 判旨は、「このような内容の実況見分調書や写真撮影報告書等の証拠能力については,刑訴法326条の同意が得られない場合に は,同法321条3項所定の要件を満たす必要があることはもとより,再現者の供述の録取部分及び写真については,再現者が被告人以外の者である場合には同 法321条1項2号ないし3号所定の,被告人である場合には同法322条1項所定の要件を満たす必要があるというべきである。」としています。

 

 再現者の供述部分が再伝聞とする処理は、実況見分調書自体を321条3項で伝聞過程を解除→実況見分調書を「被告人以外の者の公判(準備)期日における供述」(324条1項)とし再現者供述部分を「被告人の供述をその内容とするもの」(同条1項)→322条準用というものです。しかし、再伝聞とする処理は、署名若しくは押印がいらないということになり、伝聞過程を除去できないまま「証拠」(320条)となり事実認定を誤らせるという危険がある点で妥当ではありません。具体的事例としては、被疑者被告人を事件現場等につれていき実況見分調書とともに自白をとった場合、再伝聞説によれば、実態としては自白の供述録取書なのに被告人の署名若しくは押印がいらないことになり伝聞過程の除去ができないまま証拠となる場合が考えられます。

 

 そこで、本来ならば別の証拠である実況見分調書(321条3項)と供述録取書(322条1項)とが並存しているという説に立ち、署名若しくは押印が必要となると解するべきです(322条1項)。この説によれば、再伝聞説の処理方法である署名若しくは押印がいらないという伝聞過程を除去できないまま「証拠」(320条)となり事実認定を誤らせてしまうという危険を回避することができます。判例はこの立場に立っていると考えられます。再伝聞説は厳格な証明を求める法の趣旨(317条)からも許容されないのでは、と考えています(これは僕の私見)。

 

 判例は「このような内容の実況見分調書や写真撮影報告書等の証拠能力については・・・同法321条3項所定の要件を満たす必要があることは『もとより』、再現者の供述の録取部分及び写真については,被告人である場合には同法322条1項所定の要件を満たす必要」がある としています。この判旨のうち、『もとより』という部分が並存説の根拠になっているそうです。すなわち、『もとより』とは、「初めから。以前から。もともと。」という意味や、「言うまでもなく。もちろん。」という意味があります。このことから、実況見分調書と供述録取書は、『もとより』別個のものであるという理解が判旨の上で示されているそうです。